キングオブコント2025で初の決勝進出を果たした「元祖いちごちゃん」のハイパーペロちゃんには、14歳で人生を終わらせようと考えた深刻な過去があります。
本人の証言をもとに、その経験と現在の活躍までの道のりをまとめます。
14歳で一度人生を諦めかけた壮絶な過去

元祖いちごちゃんのボケ担当・ハイパーペロちゃん(本名:永江俊輔、1988年8月4日生まれ 画像右)が、学生時代に深刻な状況に追い込まれていたことは、本人がインタビューで明かしている事実です。
最も衝撃的なのは、14歳のときに一度人生を終わらせようと考えた経験です。本人がnoteインタビューで以下のように証言しています:
僕14歳のときに1回〇のうとしたんですよ。
(引用元:note) ※〇はNGワードなので変換しています
相方の植村侑史は、その状況について以下のように説明しています:
人生がつまんないから〇のうと思って多摩川に行ったんだよね。
そしたら思ったより浅瀬で、そのまま川を横断しちゃったっていう。
(引用元:note)
ハイパーペロちゃん自身は「足元がちょっと濡れただけ」と振り返り、その後の心境の変化をこう語っています:
〇ねなかった後、そのときに生きてる証を残したいって考えて、お笑いをしようって浮かんだんだよなあ。
(引用元:note)
この経験が、彼がお笑いの道を選ぶきっかけとなりました。
学生時代の困難な体験から生まれた「闇クレヨンアート」
ハイパーペロちゃんの趣味である「闇クレヨンアート」の誕生について、本人は以下のように証言しています:
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学生時代にいじめられて、何かに発散しないとやばかったので、高校くらいから描くようになりました。
ちゃんとスケッチブックに作品として描いているのは、2014年くらいから。20作品くらいあります。
(引用元:note)
現在では100作品以上を制作しており、「ストレスがたまったとき、嫌なことがあったときに発散するために描く」という独自のスタイルを確立しています。
良いことがあるときは何も浮かばず描けないという点が、まさに「負の感情の芸術化」を象徴していますね。
項目 | 詳細 |
---|---|
制作開始時期 | 高校時代から(本格的には2014年頃から) |
作品数 | 100作品以上 |
制作条件 | ストレスや嫌なことがあったときのみ |
特徴 | タイトルをつけず「何に見えますか」と問いかける形式も多い |
米国の凶悪犯罪者の作品と酷似していた衝撃
ハイパーペロちゃんが描いた「ピエロの顔の上にバツを描いた絵」が、米国の凶悪〇〇者が監獄で描いた作品と酷似していたという驚きのエピソードがあります。
この絵は『シリアルキラー展』に展示された作品とほぼ同じだったとのこと。
彼は「僕は何も悪いことをしていないけれど(笑)」とユーモアを交えつつも、この偶然の一致に驚いたと語っています。
M-1グランプリ1回戦落ちで本気で辞めかけた苦悩
キングオブコント決勝進出までの道のりは決して平坦ではありませんでした。
2~3年前のM-1グランプリ1回戦落ちの際には、二人とも本気で芸人を辞めることを考えました。
お笑いナタリーのインタビューで、植村侑史は以下のように証言しています:
本当に辞めようかと思いました。「こんなんで落ちちゃうんだ」って。
(引用元:お笑いナタリー)
ハイパーペロちゃんも当時の心境をこう語っています:
2年前に「M-1グランプリ」で1回戦落ちしたときは辞めそうになりました。
(引用元:お笑いナタリー)
マイナビニュースのインタビューでは、さらに具体的にこう明かしています:
2~3年前に『M-1』1回戦で落ちたときは本当に辞めようかなと思いました。こんなんで落ちちゃうんだと思って。
(引用元:マイナビニュース)
YouTubeやTikTokをやった方がいいんじゃないかという話もあったし、もがいていました。
(引用元:マイナビニュース)
さらにお笑いナタリーでは、転職まで真剣に考えていたことを明かしています:
資格を調べ始めてましたもん。
(引用元:お笑いナタリー)
植村は「危険物のやつね(笑)」と補足しており、本気で転職を考えるほど追い詰められていたことがわかります。
外飲みとバイトに明け暮れた下積み時代
芸人仲間のモダンタイムスや虹の黄昏とのライブ後は、店ではなく「駅の地下のちょっとしたくぼみ」で外飲みをしていたエピソードも語られています。
お笑いナタリーのインタビューで、植村侑史はこう証言しています:
モダンタイムスさんとのライブが終わって「飲みに行くぞ」って言われて、お店に行くのかなと思ったら駅の地下のちょっとしたくぼみでお酒を飲み始めたんです。
「すぐ近くにトイレがあるから、ここはほぼ店だ」って……。そのときに「僕らは一刻も早く”中”に入りたい。今年は絶対に決勝に行くぞ」って思ったんです(笑)。店で飲みたい!
(引用元:お笑いナタリー)
マイナビニュースでも外飲み生活について語っています:
ライブが終わったら僕らはだいたい外で飲むんですよ。いまだに外飲みなんです。
寒い日も暑い日も外なので早く店で飲みたい(笑)。ネタ作りも外でやっているので、僕らめちゃくちゃ黒いんです。
(引用元:マイナビニュース)
バイト先にも芸人仲間がおり、休憩時間も常にお笑いの話をしていたといいます。ハイパーペロちゃんはお笑いナタリーでこう証言しています:
新しく入ったバイト先に4000年に一度咲く金指さんとか、ウルトラスーパーコバタナックスの田中くんとか芸人がいて、休憩時間にもお笑いの話をしてたんです。
バイト中にお笑いの話をして、そのあとネタ合わせもして……という結構お笑い尽くしの濃い1年だった気がします。
(引用元:お笑いナタリー)
「失ってきたもののほうが多い」人生をKOCで取り戻す
キングオブコント2025決勝進出が決まったとき、名前を呼ばれた瞬間のことを植村侑史はお笑いナタリーでこう振り返っています:

名前が呼ばれたときは勢いで立っちゃいましたけど、頭は真っ白でした。
決勝に行ったら泣くんじゃないかと思ったんですが、レインボーが泣いてるのを見て引いちゃって、自分では泣きませんでした(笑)。
ペロちゃんも発表前に「俺、呼ばれたら泣いちゃうわ」と言ってたんですけど、実際はゲロ吐きそうになってました。
(引用元:お笑いナタリー)
ハイパーペロちゃんは「ちょっと気持ち悪くなっちゃって。嗚咽で泣いてました」と証言しています。
賞金1000万円の使い道に込めた思い
賞金の使い道について、植村侑史はお笑いナタリーでこう語っています:
失ってきたもののほうが多いので、お金を使って取り戻していきます。3歳と5歳の子供もいるのでがんばっていきたいです。
(引用元:お笑いナタリー)
ハイパーペロちゃんは、家に虫が出るため引っ越しをしたいと語りつつ、こう付け加えています:
小学校に上がる前に決勝に行けてよかったよね。お父さんカッコいいって思ってもらえるじゃん。
(引用元:お笑いナタリー)
決勝への意気込み「視聴者に衝撃を与えたい」
決勝への意気込みとして、植村侑史はお笑いナタリーでこう語っています:
誰も注目していないし、知名度もないので、ダークホースにはなれるかなと。ネタも誰かと被ることは絶対にないと思うので、新しいものを見せられたらと思います。
(引用元:お笑いナタリー)
ハイパーペロちゃんは以下のように述べています:
視聴者に衝撃を与えたいです。審査員にネタを評価してもらうことがほぼ初めてなので、それも楽しみです。
どんな点数が付くんだろう? 低すぎても面白いだろうし、ワクワクしてます。
(引用元:お笑いナタリー)
まとめ
元祖いちごちゃんのハイパーペロちゃんは、14歳での深刻な挫折経験を経て、「生きている証を残したい」という思いからお笑いの道を選びました。
学生時代の困難な体験から生まれた「闇クレヨンアート」、M-1グランプリ1回戦落ちで辞めかけた時期、外飲みとバイトに明け暮れる下積み時代を経て、キングオブコント2025で初の決勝進出を果たしています。
「失ってきたもの」を取り戻すために挑む彼らの姿は、同じような困難を経験した多くの人に勇気を与えてくれるはずです。
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